こんにちは。宮本です。

二宮町の川勾神社にお参りしてきました。

初めて行ったんですが、こんな神社なんですね。

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流石に相模の国の二之宮の格式の神社ですね。
境内にすごく太い木がありました。
川勾神社があるから、この辺を二宮と言うんだと思います。

一之宮の座を、寒川神社と競ったということです。
飛鳥時代にはすでに開かれていたそうで。

三之宮は伊勢原の比々多神社、四之宮は平塚の前鳥神社、五之宮は平塚八幡宮、相模の国の総社が大磯の六所神社なのだそうです。

小田原城の近くに報徳二宮神社ってありますけど、あれはここまで古くないと思います。
二宮尊徳に因んで二宮と言うんだと思いますね。
調べたら、報徳社という団体が、明治時代になって創建した、とありました。
報徳社というのは二宮尊徳を慕う人達の団体のようです。
やっぱすごい人だったんですね。

知らない人は二宮金次郎と坂田金時(さかたのきんとき=金太郎)の区別がつかないとか言いますけど、ちゃんと教えないとこうなる、ということの典型ですね。
「二宮尊徳って誰?」「auの宣伝?」「やっぱ、そうだっけ」という会話、聞いたことあります。
両方ともこの辺の出身ですけど活躍した時期は何世紀もの隔たりがあるし、「金」しか合ってないんですけどね。
学校から二宮金次郎像を撤去したことの弊害(笑)
栢山の人も小山の人も呆れるでしょうね(笑)

総社は、今で言う県庁である、国府というものが置かれた場所に近いところにあり、日々のお参りは総社で、ということのようです。
大磯には国府新宿とか国府本郷という地名があります。
昔は大磯あたりが相模の国の政治の中心だったんですね。

京都や奈良など政府の中央から役人が派遣されてきて、赴任の挨拶でその土地の神様にお参りするのに、一之宮からその順番でお参りすることにしていたそうです。

昔は関東なんてド田舎だったと言いますが、国の官僚が赴任してくるような土地だったんだから、そこそこまともなんじゃないのかな、とも思いますね。
古墳やら土器とか貝塚なんかもありますので、まあまあ人は住んでいたんでしょうね。

「国分寺」はお寺ですからね。
仏教が入ってきて、奈良時代になってから、聖武天皇の命令で全国の国府の近くに造られたんですね。
相模の国の国分寺は海老名にあって、大磯から近いかって言うと微妙ですが、ま、他の大きい国からしたら、それでも近い部類だったのかも知れません。

海老名にも国分南とか国分北なんていう地名があります。
二宮町や国分寺市もそうですけど、全国にそういう地名、残ってるんでしょうね。

地図が好きなので、それにつられてか、地名やその地名の成り立ちとかも好きなんですよね。
その土地の忌まわしい過去とかを、地名を変更して隠してるのとかも好きです。

「沼」はダメとか、「蛇」とか「首」とか気持ち悪い系のはダメとか、そういうの。
「崖」を響きが似ている「柿」にして隠すとか、毎年洪水が酷かったところなのに、昔の地名っぽくない平仮名の地名とかに変えちゃうの、いいと思います(笑)

付近の感じを見れば、だいたいの想像は付きますね。
流石に崖を壮大な規模で埋め立てちゃってたりしてれば、付近を見わたしただけではわかりませんが、地盤改良が大変な場所なんかは過去に何かあったかもと思っちゃいますね。

ま、こういう1000年以上前からあるような神社やお寺は、1000年以上酷い自然災害に見舞われていない場所にあるということになりますから、土地選びのときの参考になるかも知れません。
津波や水害の危険度が低い丘陵地で、南向きで、交通の便が良くてみんなが集まりやすいところに、国府や神社、国分寺を建てたそうですよ。

ま、そういうところは調整区域だったりすることが多いんですが、今後は自然災害の激甚化も考えられます。
災害の危険度が高い地域に、あまりそういうことに対応できていない建物をお持ちの方は、対策を考えておいたほうが良さそうですよ。

ハザードマップってのは過去の例や古い文献なんかも加味されてますので、皆さんも、よく確認しておくことをお勧めします。


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